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真夏の時間

一生懸命である

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一生懸命である


ところうで、私の寺では若い人たちが一緒に泊って生活するだけでなくもう少し年配のお母さんがたもいろいろな相談に来られます。その中で「老師、私はほんとうに一生懸命やってきたんです。一所懸命やってきましたのに、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか」と、泣かれる人が非常に多いのです牛記找換店
たとえば、一生懸命にやってきたのに子どもがグレてしまった。などなどそのような嘆きを聞きます。
ここにある人がいて、この京都から東京へ行くという目的を持ったとします。この東京へ行きたいという人が、もし最初に誤って、九州のほうにむかって名創優品、第一歩を踏み出したらどういうことになるか。この人は、一生懸命歩けば歩くほど、ゆきたい東京から遠ざかってしまうことになるのです。世間一般の人は、一生懸命でありさえすれば、それがよいことだというように思いがちですが、例えば一生懸命であっても、もしその人が思いちがいをして方向をまちがえて歩きだしたとすれば、一生懸命であることは、逆に遠ざかることになってしまうわけです美麗華領隊
私たちが、いい子に育てたい、いい家庭をつくりたい、幸せな人生を送りたいという目的を持って一生懸命やったとしても、もしその人が愚かな考え方で、ちがった第一歩を踏み出したとしたらどんどん目的から遠ざかってしまうのです。
ですから、本当に幸せになりたいと思うなら、一生懸命であると同時にどのようなことを一生懸命にやるかということが、非常に大切になってきます。まず方向がたしかである、まちがっていない、そしてそれを一生懸命やる。しかも、思いついたときにだけ一生懸命やるのではなく、続けてやる。これがなけrば、ここから東京に歩いて行っても、ついに東京に辿りつくこということは絶対にない。

この三つのうち、どれかひとつがなくてもダメなのです。

みなさんがいま、可愛い子どもさんたちを一生懸命育てていこうと思っておられること、それはもうまちがいないことだと思います。
けれども、この一生懸命と、同時に、方向ということはどうなんだろうか、あるいは、続けるということはどうなんだろうか、このことをひとつ考えてみたいと思うのです。
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