眺望はよくなか

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眺望はよくなか


山のあなたの空遠く
幸(さいはひ)住むと人のいふ……

そのようなカール・ブッセの詩を信じて、高い山の向こうには何かいいことがありそうだと、若いころは思ったものだ。
実際に、いくつかの高い山にも登った。
いいことは山の向こうにあったのではなく、ただ山に登ったということが、いいことの記憶としていまも残っている。

九州に帰ると、いやでも山にとり囲まれる。
山のかたちは変わらない。そのことは、古い記憶が変わらない形で残されているようで、ときには陳腐で退屈で、目を逸らしたくなったりする。
それは退屈でやるせなかった記憶が、そのまま山の形で残されていたりするからだろう。とにかく、目のまえの山を飛び越えなければならないと焦っていた。そんな若い日々がよみがえってくるからだろう。
ふるさとの山は、懐かしくもあるが退屈でもある。

標高1756メートル、祖母山というなだらかな三角形の山がある。二十代の初めに、その山に登った。
どこまでも雑木が茂っていて、眺望はよくなかった。やっと空が開けたと思ったら一面の熊笹の原で、そこが頂上だった。
小さな小屋があり、男がひとり住んでいた。そんな淋しいところに、ひとりきりで生活できるということが驚きだった。丸太を薄く輪切りにして山の名を焼印で押したもの、それが小屋でお金に代わる唯一の商品といえるものだった。
その日のうちに、山の向こう側へ下りた。
見慣れない集落があった。高千穂の町だった。
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